学芸なーど。

BighistoryやSapience的考察からヒト、科学、学習、言語、芸術、心、脳などについての"更新型"メモ/ノートです📖グルーミング用の旬な時事ネタはないです…か?

芸術起源:身体表現編 ヒトはまず踊り、それから演じた?! ~宇宙、自然、生命発生はランダムネスから~

先週は舞台演劇を観て、今日はコンテンポラリーダンスの発表会を観ながら芸術の起源についてついいろいろ考察してしまいました。以下は現場インターミッション中及び終演直後の走り書きなので”ですます”スタイルじゃないです💦


芸術を絵画、造形、音楽、演技に分けるとすると、演技を更にセリフのあるものとセリフがないものに分けた。今日観たのはノンバーバルのセリフのない演技(ダンス)である。創作ダンスのあの体の動きは基本スタンスなどは勿論あるのだが、体操競技のように腕や脚の角度に正確性は求められない。挙げた腕の角度が45度である必要や 90度である必要性はない。手足がまるでタコの脚の如く恣意的に伸び縮みされる。


このブログでキーワードになりつつある、全ての始まりは"いい加減"つまり『創発』によりじわ〜っと発生してくる感じ。その点で創作ダンスは極めて自然発生的だ。5000年前に文字と数字が始まり直接枠的思考が始まる以前の自然や生命、宇宙誕生につながるの放射状的曲線性を感じる。20万〜3万年前に視覚空間的知能(Visual-Spatal Intelligence)に優れたヒト注1)が狩猟採集や戦の出来事を壁画に表し、それを皆に踊りやジェスチャーで表したのが音楽的知能(Musical Intelligence)と身体運動感覚的知能(Bodily-Kinesthetic Intelligence)に長けたシャーマン的存在だったかもしれない。(横山祐之『芸術の起源を探る』朝日選書1992年)その後文字の登場により言語的知能(Linguistic Intelligence)や対人的知能(interpersonal Intelligence)に長けた演出家的リーダーがより多くのヒトに出来事や宗教的概念を伝えるために『フィクション』を誇張して演者として適性を持ちかつ、メタ認知能力に長けたヒトを抽出した。台本,脚本(フィクション)に沿うように演者を動かせた❢大脳新皮質の言語ネットワークを駆使するセリフ有りの演技の始まりである。そこでは恣意的要素は封印される。言い方を変えれば自然の法則にそぐわない人工の直接枠的思考から生み出されるフィクションを世界各地で生み出し始めたのである。より大きな集団(ダンバー数である150人を超える)をまとめることへ演技演劇が果たした役割は大きいであろう。さて、セリフがドタバタやシュールであっても例えばビジュアル設定(お城やオフィス、鎧やスーツ)が日常枠のまま又はその延長であることが多いため観ているヒトは脳のトップダウン処理によりギリギリ目の前でこれから起こることを予想できる。対して創作ダンスは無機質なモノトーンの衣装で登場されるとなると、これから起こることを予想しにくい。加えて予想不可能な創発的創作が繰り出されるともはやトップダウン処理は通用しない。更にセリフがない場合、言語ネットワークのある大脳新皮質部分よりは目の前で自然発生的に繰り広げられる動きに視覚と情動のボトムアップ処理を脳のもっと深部の辺縁系中心の情報処理を観客に求める形となる。


ちょっとまとめると💦
創発ダンス⇒創発⇒ランダム重視のエントロピー⇒自然の法則⇒放射状的曲線注2ヒト日常生活枠からの逸脱⇒最高賛辞的感想『芸術的だ注3)
ダンサーはノンバーバルのため大脳辺縁系をメインに作動⇒現生人類発祥時に近い動きが可能に、20人ほどの4歳から9歳ぐらいの子供ダンサーもいたがこれがセリフ有りとなると認知負荷がかかり過ぎて(動きはやっているが目線が泳ぐ子役が結構いた⇒指摘批判でなく認知負荷がギリギリだという事実のため)あれだけ複数の子役ダンサー配役は難しいと思われる。それは注目される子供アスリートはたくさんいるが、子供役者で注目されるヒトは少ない事実がもの語っている。


セリフ有演劇、演技⇒ランダムは基本許されないフィクションメイキング⇒直線的ヒト日常枠の延長なため、リアルの自分をフィクションに投影することがギリギリ可能⇒最高賛辞的感想『(リアルの自分をフィクションに投影出来て)素晴らしかった』しかし本日観たダンスの中盤は"ヒト"の衣装を着てダンスする場面があり更に日本語ナレーションが入る場面があった、この瞬間観劇者の脳のネットワークは視覚と情動優先のボトムアップ処理から大脳新皮質まで神経回路を伸ばし言語処理によるトップダウン処理にスイッチが入ったはずだ。この時点で感想を聞かれば『芸術的だ』でなく『良かった』になる可能性が大きい。

付け足しでもう少し言うと空手の動きはかなり直線的日常の運動の延長と考えると、カンフーでお馴染みの酔拳や蛇拳などの動きはかなりクネクネして曲線的日常では見られない動きだ。どちらを『芸術的』かと大規模アンケートを取るならどうなるだろう?日本人、中国人、欧米人、特にバイアスのなさそうな狩猟民族でリサーチしたいものだ💦
チャートの空手とカンフーのポジションは私の考えです。


エントロピーについては注4)
少数原住民の認知の違いは作成中💦


注1)
多重知能理論(MI理論):従来の知能の1つの側面を見るのではなく、個人それぞれには8つの知能分類があり発達度も異なり各知能に優劣もなく生来持っているこれらの潜在能力を成長させていくための環境が大切であるというハーバード大学教育大学院Howard Gardner博士の理論。これについては又別記事でまとめます。未だに日本の学校で評価されるのはヒトには新しい直線枠思考を問う言語(Linguistic-Verbal)や数学的(Logic-Math)知能部分のみ(TT)文字のみ、音声のみ、数字のみで測る試験はその受験生の本当に持ち合わせる能力はわかりません。偏った特殊な認知機能を測定しているだけです。文字だけ音声だけで行動や判断をする環境は普段ない!!

画像元:quotemaster.org


注2)今回のキーワードの一つであり、このブログの基本概念について
直線は自然でない↓関連記事↓


注3)なんで”芸術的”って言うのか”関連記事↓


注4)ランダムさがすべてを創った↓関連記事↓

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