学芸なーど。

BighistoryやSapience的考察からヒト、科学、学習、言語、芸術、心、脳などについての"更新型"メモ/ノートです📖グルーミング用の旬な時事ネタはないです…か?

バリバラ考察☀『何が普通』かじゃなく⚠『多様性が普通』で❣

昨日のある駅構内での一コマ…


視覚認識が中間値+-の間のヒトより困難に思われる杖をついて黒いサングラス(ポリティカルコレクトネスで)のヒトに、ある青年が『一緒に行きましょうか?』と声かけしました。返ってきた返答は↓



『いらん、いらん、見たらわかるやろ、ボケが!』でした。


例えば、綱渡りの練習をしていてあともう少しというところであれこれ話しかけられたらどうでしょうか。


ウィールチェアに座るヒトに手を差し伸べて、もしそのヒトがパラリンピックメダリストなら、どうでしょうか❢ 上の例ほどあからさまじゃないかもしれませんが『余計遅なるからやめて』って心で呟かれるかもしれません。。。


う~難しい(><)


『ポリティカルコレクトネス』についてすこし⇩
http://www.asahi.com/english/weekly/0128/04.html
ある辞書には
健常者:心身に障害のない健康な人 と載っています。
ハッキリ言ってそういうヒトはいません、から障害者に対立するこの表現も好ましくありません。
健常者:大多数が大なり小なり、疾患や外的、内的な障害と共存しているのが実態であり、健常者とは、たまたま現在、障害や疾患で、その日常生活の中でのさまざまな活動や行動に支障を抱えていない「一時的健常者」wikiより …というならOKかな?


例えばヒトは手の一部が欠損しているヒトを見て自分に置き換えて感情を持ちます。
「あ~なんて。。。」イヌが足を引きずって歩いているのを見ても自分に置き換えます。ヒトの意識下に入る動物だからです。じゃあ土に戻れず徘徊しているミミズをみて「あ~目が見えずにかわいそうに、なんとかかしてあげなきゃ」って思うヒトは生物学者や私のように少数派でしょう( ´∀` )
しかしこういった他者の視点を自分に置き換える心的操作はヒト特有のもので、他の動物は手足の一本なくなろうが身体上の不都合はあっても精神上の不都合は発生しません。テレビ番組の演出や効果音の影響で勘違いしてしまいますが。。。


さてバリバラ(タイトルに書いたので💦)はヒトのバイアスよりな観点を中和するための番組だと思うのですが、たまに※※なスタッフもいて「この企画でそのこと(障害の切っ掛け)を克服できましたか」という声掛けに「そんなもんとっくに克服してるわ」って半ギレで返されてました。あえてスタッフに言わせてるならこの番組の趣旨ぽいですが。。。



ヒトの話に戻すと、体内にあると数十兆の細胞の内、体細胞の21番染色体が通常より1本多いだけでダウン症候群と命名されます。ネーミング(ラベリング?)をしないと生きていけないヒト...

さてそんな定義分けや、何が普通か普通でないかでなく、ヒトだけでなく生物も含めたインクルーシブ教育で多様性が普通であることを小学校から教える
べきでしょう❣ ちなみにアメリカのT大統領はこの言葉(多様性"diversity")を公式文書で使用禁止した模様👹


参考資料:ヒトはこの地球上中の何百万種の1種でしかない⇩のに残りに勝手に線を引いたり、名前を付けたりしてカテゴライズ(認知枠に収める)してます。


ヒトの直線と自然の曲線については⇒⇄直線思考から曲線(放射状)思考へ ☼ - 学芸なーど。

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